正岡子規とは?
1867年10月14日(慶応3年9月17日)-1902年(明治35年9月19日)。
伊予国温泉郡藤原新町(現愛媛県松山市花園町)に松山藩士正岡常尚と八重の間に長男として生まれた。母は、藩の儒者大原観山の長女。
日本の俳人、歌人、国語学研究科。
名は常規(つねのり)幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。
俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など、多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした明治時代を代表する文学者の一人であった。
愛媛一中、共立学校で同級だった秋山真之とは、松山在住時からの友人であり、また共通の友人として勝田主計がいた。東大予備門では夏目漱石・南方熊楠・山田美妙らと同窓。
草花を愛でた作品多数。日本のみならず、欧米の庭にも憧れ、夢見ていたといわれている。
ベースボールをイメージした庭
捕手をしていた子規が、グランドに向かって「締まっていくぞー」と叫んだ時に見た景色。(デザイン:ランドスケープ代表 影浦章次氏)
まつやま子規の庭プロジェクトの出発点となりました。
沿革
平成25年1月11日 | 設立 |
2月~ | 関連施設調査研究 |
5月 | 子規の庭作庭イメージ制作 ランドスケープ代表 影浦章次氏 |
7月 | 「ガーデンから見える子規の風景」イメージラフ画 正岡子規イラスト作成 絵本作家しらかたみお氏 |
8月~ | 作庭候補地検討 |
平成26年3月30日 | 愛媛大学と共催にて金岡秀郎氏(国際教養大学特任教授)による文化講演会「伊予の神がつなぐ点と線 ~蒙古襲来から正岡子規まで」(NHKラジオ第2文化講演会として9月14日全国放送) |
6月 | 松山市「坂の上の雲」フィールドミュージアム活動支援事業対象団体として決定 |
活動内容
- 調査研究活動
- 広報活動
- 庭づくり支援・協力
- 企業や施設の庭とタイアップして子規の庭つくりへの支援を行う(アイデアや協力者の紹介等)
- 句碑の周りに、町内会や学校と協力して小さな庭をつくる。作庭作業の企画に参加する。
- 参考となる庭の視察(奈良市 子規の庭)
- イベント・講演会
- 庭の専門家や、子規、文学に関する講演やイベントを行う。
- 子規の俳句フォトメッセージコンテスト、音楽と朗読など句会の場として提供。
- 子規が好んだ草花に囲まれた演奏会、様々なアーティストとのコラボイベントを行う。
今後の活動予定(進行中のものを含みます。)
- ホテル椿館「まつやま子規の庭」作庭支援
- 道後子規像周辺に「まつやま子規の庭」作庭支援
- 清水町まちづくり協議会と共同で、平和通り句碑周辺花壇整備
- 松山藩薬草園の再現
- 庭づくり講演会
- 市民による庭のあるまちづくりレクチャー
- 1月31日 三田グリーンネット元代表 高嶋清子氏
NPOまつやま子規の庭プロジェクトの詳細
設立 | 2013年1月11日 |
事務局 | 愛媛県松山市北井門2丁目 |
電話 | 090-7787-2107 |
matsuyamashikiniwa@gmail.com | |
発起人 | 井上泉 宮崎雅子 福井一恵 |